「人を幸福にするものは何か?」
という問いかけは、多くの研究者のテーマです。

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ぶにん先生です
私は家庭教育に関する支援を18年間しています。

その相談内容は、不登校や発達障害に関することから日々の生活面や学業面や親子のコミュニケーションまで様々です。
場所も全国津々浦々。ほとんどの都道府県にアウトリーチ支援をしたり、通信制で支援をしてきました


子どもが生まれ、夫婦共に幸福感に包まれていたあの時からほんの10数年でなぜここまで変わってしまうのでしょうか

朝起きた時から
『今日は子どもをどう叱ってやろうか』
『さてどうやって自尊心を傷つけてやろうか』
など思いながら家族の朝食を作る親はまずいません。

なのに、子どもがのそのそと布団から起きてきた瞬間から…

『いつまで寝てるのよ。毎日同じこと言わせないで!』
『ほら早く食べなさい!前にも遅刻しかけたでしょバカ!』

と始まってしまうこともあります。

子育てをすると親は不幸になるものなのか…、と20代前半の駆け出しのころの私は不思議に思ったものです。

しかし、多くの支援をしている中でおぼろげながらも子育てで不幸にならないマインドというものの輪郭が見えてきました。

それは『小さな幸せを意図的に汲み取れる親は不幸感は薄い』ということ。

たとえば、汚れた体操服を脱ぎっぱなしの我が子を見てイライラして怒鳴る親よりも、体操服をこんなに汚すまで元気に動き回っていて良かったなぁと感じる親の方が不幸感が薄い。

たとえば、我が子の60点のテストの結果を見たときにできなかった40点を気にするよりも、取れた60点を労い、「わからなかった40点の課題が見えて良かったね」と声をかけてあげる親の方が不幸感は薄い。

私は昔から『幸せとは何か?』ということを考えます。このような支援現場に長く身を置いていると、法則というか定理のようなものを感じずにはいられません。

幸福とは「絶望がないこと」ではなく、「自分の人生には意味と喜びがある」と人生を肯定的に捉えることだと思います。

子育てはまさに生物・社会・心理的にも自分の人生には意味と喜びが感じられるものだと思います。本来的には。


しかしながら、そうならない現実が日本の家庭教育の場にはあります。

私自身も家にいる時には、風呂上りの娘の髪の毛を乾かせる喜びを感じて(感じようとして)います。
やらされている、めんどうくさいと思った瞬間に世界は劇的に姿を変えるものなのです。

先日の大型台風の被害の全容がようやく見え始めました。
幸いにも支援でかかわっている方々からの被害は耳に入っていませんが、1日でも早く被災された皆さんの日常が戻ることを祈念申し上げます。

ぶにん先生

(↓支援にご興味がある方はこちら↓)
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