まもなく長い1学期が終わろうとしています。皆さん、いかがお過ごしでしょうか
どきどきの春。新しい教室ではどんな友達との出会いがあるのか不安な時期だったかと思います。そうこうしているうちに遠足に、プールに、中学生は中間テストに期末テスト・・・親も本当にお疲れ様でした!
ぶにん先生です。
今日は家庭教育の根本のお話をしたいと思います。
そもそも論ですが、子育てって出来て当たり前ではないんです。
子どもを産んだ瞬間に親になるわけですが、親になるためのスクールや免許というものはありません。ですので親のスキルやマインドは学ぶことによって身につけていく必要があります。
車では一般的には教習所に通い、適性検査を受け、学科を学んで、仮免試験があり、路上講習を経て、最終試験を受けます。そして合格してやっと免許を貰うことができます。その後に車を購入するわけです。
子育てを上記のたとえ話に置き換えると、車の運転方法もわからないまま、いきなり車というわけのわからない複雑なものに乗り込んで…
「このハンドルというものを回すと曲がるのか…お、右足のペダルを踏み込むと進むぞ。バックはどうするのかな?このボタンかな?あ、変なところライトが点いたぞ。そういや、お母さんも運転していた時、このへんのボタンを触ってたな。でもなんか車種は違うしそのボタンがないぞ。なんじゃこりゃ」
という状態で路上で運転するようなもの。運転してる本人も当然自信などないだろうし、周りで見てる人も大丈夫かしらこの人と不安になるのも当たり前です。
昔であれば、地縁や血縁が濃くて、子育ても今と比べると、みんなで協力しながらできたので、このようなシステムでも一定うまくできていました。しかしながら、今は核家族化や共働きが増えている社会です。劇的に変わりゆくこの社会において旧来の子育て観を当てはめるのは無理があると思います。
『親なんだから子育ては出来て当たり前』
ではなくて
『出来なくて当然なんだから人に頼るのは恥じゃない』
とか
『親になれば家庭教育を学ぶのが当たり前』
という子育て観にアップデートしていかないと、孤立化する子育て(孤育て)などネガティブなイメージの流れは止められないと思います。
子育ては親育ちでもあるというスローガンは浸透してきましたが、まだまだ子育て支援の現場では精神的にキュウキュウになってしんどい状態にある親御さんが多いように感じます。
いいものは継承する。社会の形にあわせて変わらなくてはならないものは変える。まさに不易と流行を考えていかないとならないのが子育て支援だと感じます。
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