前回の続きです
彼女はこの日以降イライラした時に多少言葉がきつくなったり、物に当たる事もしばしば見受けられるときはありますが、不登校時ほどひどい行動に至らずに自分で切り替えることを覚えているようです。
この日が無ければ彼女はいまだに自分を抑えられずにいたかもしれません。
親子で涙ながらに誓い合ったからこそこういった切り替えの仕方を意識できたのだと思います。
その日以降、彼女は精神的にも物理的にも支えとなっている訪問カウンセラーと一緒に一ヶ月間しっかり登校準備を進めていきました。
このような訪問カウンセラーの支援法を私は「伴走型支援」を呼んでいます。
カウンセラーも一緒に走ってあげる。時には支えながら、時には励ましながら、時にはペースを見ながら。
この1ヶ月の間は多少不安な顔をのぞかせながらもカウンセラーが支えてやることで一つ一つ不登校を乗り越えて学校に戻るために組み立てた行事を着実にこなすことができていました。
そして、いよいよ登校日の朝を迎えました
登校日の朝、私は彼女に一ヶ月ぶりに会いました。
その時の顔つきは多少緊張感のある顔つきをしていましたが、最初に会った時の顔つきに比べれば明るい顔になっており、私の問いかけにもハキハキと答えることができるようになっていました。最初に会った時は目つきは鋭く何者も受け付けないというような顔つきでしたから、これだけでも大きな違いでした。
おそらく、訪問カウンセラーと二人三脚で登校準備を進めていく事で彼女の中で自信がついていったからこそこういった顔つきになったのだと思います。
私はこの顔つきをみてこの子であれば大丈夫だという確信をし、彼女には短く・・・
「今日から君は生まれ変わるんだ。今日からまた楽しい人生を歩んでいきなさい」
ということを一言伝えました。
彼女はそれを聴き、ハッキリした声で一言「はい!」と言ってくれました
そして、彼女は訪問カウンセラーに支えられながら登校していきました。
その足取りはしっかりとしており、後ろを振り返ることなく、校門をくぐっていきました
自らの意志を明確にし、その意志を伴走型支援で訪問カウンセラーが支え、そんな彼女を応援できる土壌を親御さんが家庭内で作れたからこその復学でした。
不登校を乗り越えてから、1ヶ月後、私は彼女に再び会いました。
そのころにはネックにしていた部活にも参加し、この登校した日から1日も休まず通っている状況でした。
彼女がその時私にこう言いました。
「学校は楽しいです。やっぱり友達に会えることが一番です。部活も楽しくやれています。まだ集会は気持ち悪くなるけどその時は先生に言えているから大丈夫です。今度、部活の試合はお母さんの車で頑張っていってみます」
という事を話してくれました。
この言葉を聞くことができたことでこの時点での彼女の充実ぶりがうかがえ、私も嬉しくなったことを覚えています
彼女は現在、体調不良によるお休みと、体育祭の時に一度お休みしてしまいましたが、それ以外は休むことなく継続登校を頑張っています。
親御さんからは最近こんなメールをいただきました。
「娘は最近落ち着いてきており、私はとても楽です。というより本来はこの形が理想だったのですね。
今まで子の行動に手出し口出しをし過ぎていたのだと今の落ち着いている娘を見て改めて感じることができました。これからも過保護、過干渉、先回りにならないように家庭ノートを見返しながら頑張ります。」
という内容でした。
恐らく彼女のイライラや様々な恐怖症のような症状はは今までの親御さんの「良かれと思ってやってきた過干渉」も一つ引き金になっていたと思います。
その部分を彼女を信頼して任せていく事で彼女は落ち着きを取り戻し自分なりに考えて動くことができるようになったのだと思います。
これからも学校に行ってる限りトラブルはあるだろうと思います。
それでも彼女を信じ彼女にまずは任せていく。その上で彼女が助けを求めてきたときに支えてやっていく事でどんなトラブルも乗り越えて行けるだろうと私は確信しています
復学おめでとうございます

※細かい対応面や、状況の変化などは実際にはもっとあります。この場では省略しておりますのでその点はご了承の上、お読みください
どんきー先生(佐藤博)
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