不登校の児童や生徒と接しているとき、それぞれがそれぞれなりの悩みや課題を抱えていることに気が付きます。思春期の子どもたちのカウンセリングやコーチングで感じるのは、その悩みや課題が自分の内面に向いていることが多いということです。


不登校と聞けば、(当事者と当事者の親以外の)多くの方は「いじめ」や「家庭内の愛情不足」、「発達障害」などとイメージをされると思います。しかし、私が支援をする中で感じるのは上記の原因のみで不登校になるケースは稀だということ。

上記のような家庭内の環境や、学校の環境、持って生まれた資質によるもののみに原因を求める考え方を環境還元論遺伝還元論と言いますが、それだけでは不登校の問題は説明しきれません。実際に愛するわが子が突然、学校へ行けなくなったとき、それらに原因付けをしたくなる気持ちはわかりますが、深層原因はもっと複雑に絡み合っているのです。

環境や遺伝の要因だけではないとすればどのようなことが挙げられるのでしょう。

私が感じるのはさまざまな要因が絡まっている中で、一番大きな「もつれ」として、不登校の子どもたちが

自分らしさの檻の中で苦しんでいる

ということです。

自分らしさといえば一見ポジティブな要因に聞こえますが、自分らしさによって苦しんでいるケースが多いのです。これは親であるみなさんも自分の人生を振り返った時に心当たりはあるかとは思います。私にだって自分らしさの檻の中でいろいろと苦労した経験は覚えています。
でも、時代が変わり、学校教育や家庭教育のメソッドが変化したことでその檻の中から抜け出しにくくなっているのが今の時代だと感じます。


学校教育だけではなく、家庭教育の中でも近年、個性尊重型の子育てにシフトチェンジするように時代は変わってきました。ある側面だけをとらえればそれは素晴らしい考え方なのですが、個性や自分らしさを尊重する(しすぎる)流れというのは時に思春期の真っただ中にいる子どもたちを苦しめます。


自分らしくしているのに周りが理解してくれない。
自分らしくいたいから苦しいこと(嫌なこと)から逃げる。
自分らしくいたいから周りの意見を聞かない。
自分らしさがわからないから自信がない(怖い)。
本当は違うのに、キャラ設定上そうしなければならないのが辛い



など思春期不登校の子たちと話しているとそのような意見が出てきます。

そのような、本来、自分の未来に向けて羽ばたく翼となりうる「自分らしさ」が時に「檻」になって子どもたちの行動を縛ったり、気力を削いだりしてしまうことが少なからずあるのです。

自分らしさも大切にしながら、社会を構成するひとりということも大切にするというバランス感覚が大切なのですが、行き過ぎた個性尊重型の教育はそのバランスを崩しかねない要素もはらんでいます。

自分らしさの檻の中で少しの間、とどまって自分の内面と向き合うことは発達課題の中でも貴重な時間と言えるでしょう。でも、その檻に閉じ込められてしまっていては失う時間が新たな問題(休んでしまったことで勉強がわからない・体力面の問題・休んでいたことを周囲がどう思っているかが気になるなど)がさらに檻に頑丈なカギををかけてしまいます。鍵をかけて檻の中で必死にもがいている子どもにはなかなか親の言葉が届きません。でも伝えられる親子関係や、伝えられるテクニックがあれば、根比べをしていくことは大切なことだと感じます。

不登校の問題は時代とともにどんどん複雑になってきています。自分らしさの檻を自分で壊して、自分の足で、自分の意志で再び歩き出せるように私たちはサポートしていってあげたいと思っています。
子どもの力を信じて。





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