というタイトルの作文などは皆さんもこれまでの人生で幾度となく書かれてきたのではないかと思います
でもいつのまにか大人になって現実を知り、自分の位置取りや能力を把握し、そんなことすら考えることもなく目の前にやってくる日常にあくせく動いていくことが当たり前になっている方も少なくないと思います。
子どもたちと関わっていると、とてもピュアな将来の夢などを聞いて「うん。頑張れ!なせばなる!」なんて応援することもあります。
親御さんの立場から相談される内容としては・・・
「ウチの子は夢がないんですよ。プロ野球選手とか、ケーキ屋さんとか・・・なんかクールというか。こんなんで大丈夫でしょうか?」
「夢が現実離れしすぎていて、幼く感じてしまいます。そんな非現実的な夢をいってる娘を肯定していいものでしょうか?」
などなど。お気持ちはよくわかります。
私の考えとしては「子どもたちの夢を尊重して応援してあげてほしい」という立場です。
たとえそれが非現実的な夢であったとしても。大人になった今だから見えていることもありますが、逆に子どもたちの世界の目線だからこそ、その年代でしか見えないこともあります。それを尊重しながら、子どもの方向転換も寛大に認めながら応援してあげてほしいと思っています。
いま夢がないという子も本心には何かを持っているのかもしれません。ただ恥ずかしくて言えないという子が近年は増えてきているように感じます。
そもそも小学生で決めた夢を、そのまま脇目も振れず一直線に走り続けられる子がどれほどいるでしょうか。
その夢を追う中でまた違う道を見つけるのも人生です。そんな夢見る子どもたちに社会は基本的に現実的な手厳しい結果を突き付けます。だからこそ、無条件の愛を持って応援してあげられる親の立場というのがとても重要なのです
私のことをクライエントさんは「水野先生はしっかりしておられますねぇ」とありがたいことに評価いただけることがあります。でも私ほどそういう意味でブレブレで、将来の夢が紆余曲折した人間は少なくないのではないかと思います。いや、みんなそんなものかなぁ(笑)
つまり、「家庭教育支援をするカウンセラーになる!」と小学生や中学生の時から考えていたわけではないということです。ですので、皆さんのお子さんが今、どんな将来の夢を描こうが何の問題もありません
私のことでいえば・・・
「内閣総理大臣に俺はなる!」 (小学生低学年)
「漫画家に俺はなる!」 (小学生中学年)
「NBAでプロバスケットの選手に俺はなる!」(小学校高学年)⇒小4からずっと続けています。
「特にない!ウゼーし、ダリィし」(中学生)⇒なんか尖がってました。親にも迷惑かけました
「〇〇ちゃんの彼氏に俺はなる!」(高校生) ⇒エレキギターをし始めてバンドを組んだ
「世界を股にかける考古学者に俺はなる!」(高校卒業時) ⇒インディージョーンズかなぁ。スプリガンかなぁ。
「小説家に俺はなる!」 (大学時代) ⇒読むのが好きでそれが高じて書くことにも
「俺は俳優になる!小説を書きながら!」(大学時代) ⇒劇団に入ったりもしたなぁ(遠い目・・・)
「少数民族の村で自給自足の暮らしをして生きる!」(大学卒業時)
さぁ、いつになったら、カウンセラーの「カ」の字がでてくるのでしょうか・・・ザッと覚えている限りで書いてみても何の方向性もありません。おそらくは大学時代に教職の勉強や教育実習をした経験と、海外の農村の開発援助を経験をしたことで徐々に縁も運もあって繋がってきたのでしょう。
ルフィのように1巻から「海賊王に俺はなる!」と旅をつづけ、60巻を超えた今でもブレずに旅を続けているのを見ると顔が赤くなってしまいます
自分の未来像なんてなくてもいい。それをなんとなく模索しながら生きていけば、自分に合ったものがそれなりに手元に残るものではないでしょうか。できればその「欠片」を成人するころにはいくつか手に入れられていれば幸運なことではないかと感じます。「夢=仕事」でもないですしね〜。
夢を描いて、甘いなりに行動をすることは子どもたちの特権でもあります。どうか子どもたちの未来の物語が光あふれるように


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でもいつのまにか大人になって現実を知り、自分の位置取りや能力を把握し、そんなことすら考えることもなく目の前にやってくる日常にあくせく動いていくことが当たり前になっている方も少なくないと思います。
子どもたちと関わっていると、とてもピュアな将来の夢などを聞いて「うん。頑張れ!なせばなる!」なんて応援することもあります。
親御さんの立場から相談される内容としては・・・


などなど。お気持ちはよくわかります。
私の考えとしては「子どもたちの夢を尊重して応援してあげてほしい」という立場です。
たとえそれが非現実的な夢であったとしても。大人になった今だから見えていることもありますが、逆に子どもたちの世界の目線だからこそ、その年代でしか見えないこともあります。それを尊重しながら、子どもの方向転換も寛大に認めながら応援してあげてほしいと思っています。
いま夢がないという子も本心には何かを持っているのかもしれません。ただ恥ずかしくて言えないという子が近年は増えてきているように感じます。
そもそも小学生で決めた夢を、そのまま脇目も振れず一直線に走り続けられる子がどれほどいるでしょうか。
その夢を追う中でまた違う道を見つけるのも人生です。そんな夢見る子どもたちに社会は基本的に現実的な手厳しい結果を突き付けます。だからこそ、無条件の愛を持って応援してあげられる親の立場というのがとても重要なのです

私のことをクライエントさんは「水野先生はしっかりしておられますねぇ」とありがたいことに評価いただけることがあります。でも私ほどそういう意味でブレブレで、将来の夢が紆余曲折した人間は少なくないのではないかと思います。いや、みんなそんなものかなぁ(笑)
つまり、「家庭教育支援をするカウンセラーになる!」と小学生や中学生の時から考えていたわけではないということです。ですので、皆さんのお子さんが今、どんな将来の夢を描こうが何の問題もありません

私のことでいえば・・・
「内閣総理大臣に俺はなる!」 (小学生低学年)
「漫画家に俺はなる!」 (小学生中学年)
「NBAでプロバスケットの選手に俺はなる!」(小学校高学年)⇒小4からずっと続けています。
「特にない!ウゼーし、ダリィし」(中学生)⇒なんか尖がってました。親にも迷惑かけました

「〇〇ちゃんの彼氏に俺はなる!」(高校生) ⇒エレキギターをし始めてバンドを組んだ

「世界を股にかける考古学者に俺はなる!」(高校卒業時) ⇒インディージョーンズかなぁ。スプリガンかなぁ。
「小説家に俺はなる!」 (大学時代) ⇒読むのが好きでそれが高じて書くことにも
「俺は俳優になる!小説を書きながら!」(大学時代) ⇒劇団に入ったりもしたなぁ(遠い目・・・)
「少数民族の村で自給自足の暮らしをして生きる!」(大学卒業時)
さぁ、いつになったら、カウンセラーの「カ」の字がでてくるのでしょうか・・・ザッと覚えている限りで書いてみても何の方向性もありません。おそらくは大学時代に教職の勉強や教育実習をした経験と、海外の農村の開発援助を経験をしたことで徐々に縁も運もあって繋がってきたのでしょう。
ルフィのように1巻から「海賊王に俺はなる!」と旅をつづけ、60巻を超えた今でもブレずに旅を続けているのを見ると顔が赤くなってしまいます

自分の未来像なんてなくてもいい。それをなんとなく模索しながら生きていけば、自分に合ったものがそれなりに手元に残るものではないでしょうか。できればその「欠片」を成人するころにはいくつか手に入れられていれば幸運なことではないかと感じます。「夢=仕事」でもないですしね〜。
夢を描いて、甘いなりに行動をすることは子どもたちの特権でもあります。どうか子どもたちの未来の物語が光あふれるように




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