ふと牛丼屋さんに入った時に思ったことを今日は書こうと思います


今はどの牛丼屋さんでも注文を取るとき、機械を使ったり、紙に書いたり、食券システムを導入したりするのが普通のようです。


実は、私は18歳のころ、某牛丼チェーン店でアルバイトをしていました。そこではいろいろな経験をさせていただきました。
(また機会があればお話ししようと思います。18歳である店舗の店長代行を務めていたんですよ)


その中で、最初すごく苦労したのがオーダーの取り方です。
私がアルバイトをしていたころはオーダーはすべて暗記でした。
ですので、お客様が1名であれば

「特盛、味噌汁、おしんこ」

とかなので覚えてそのままオーダーを通すことができます。

しかし昼食の忙しい時間帯に学生の集団が来た時が大変で

A「俺、並盛と味噌汁」
B「大盛と味噌汁」
C「並」
D「大盛と玉子」
A「あ、俺も玉子ね」
E「特盛」
F「並とおしんこ」
G「特盛つゆだくで」
H「並、おしんこ、味噌汁」
C「あ、やっぱ俺も大盛りに」


さぁて・・・こうなると大混乱です。

しかしシステム上、これを一括で覚えて厨房に整理して通さなければなりません。これが最初はなかなかできませんでした。
かな〜り苦労しました。でも不思議と慣れてくると、頭の中で整理してうまく覚えられるようになるんですよね。私の頭の中で下記のように変換されるわけですね。

「特1特だく1大盛3並3、汁3玉2おし2」

そしてそれをそのまま厨房へ。
コツは決められた順番に当てはめて整理することと、多少ミスがあっても商品を出しながら微調整していくということです

でも今の時代では、機械でサッとミスのないようにしてしまうので、このような経験ができないんだなぁ。もったいないなぁと思った次第です。便利になると、できない経験も増えてくるんだなぁと。




時代はどんどん移り変わり、便利さを人は求めて不便さを愛せなくなってきています。
私もどんどん便利になる文明の利器に頼っています。しかし昔の人は大変だったのではないかとも同時に思うのです。そしてその大変さ(不便さ)が人を成長させていたのではないかとも。不便さは嫌だけど、今の子どもたちは私たちが当たり前に苦労してそこから学んだことを経験できないのは幸せなことだろうかなんて感じちゃいます。良し悪しはあるのでしょうが。


私たちの支援法でも、もしメールの機能がなかったら、もしケータイがなかったら、もし新幹線がなかったら・・・など考えるとおそらくは立ち行かなくなるのではないかと思います。便利な世の中にはなりましたがそれに比例して人々が幸せになったかといえば疑問を感じます




そういえば、私が少数民族の村で暮らしていたころに村の人に言われたことがあります


「日本は物もあるし働けばお金が手に入る。ここには森の恵みはあるがお金はない。でもここにはお酒を飲んで笑いあえる仲間と時間があるんだ。日本は幸せか?ワシはそれだけあれば幸せだ」


と。その話のあとには近代化によって若者がどんどん都会の暮らしに染まっていく話を聞かせてくれました。
私がたまたま村を歩いていたら声をかけてきたおじいさんです。その後、家の前の木のところに座って話をしました。
その際に「これは幸せになる薬だ」といって差し出されたのはアルコール度数が半端ない自家製の焼酎でした
その焼酎と紙巻きたばこを吸いながら、森を眺めていたら「あぁ。このじいさんのいうことは一理あるかもなぁ」と感じたのを思い出します。


便利さと幸福は比例しない。不便さと不幸も比例しない。でも人はさらなる利便性を求めて文明を磨いていくのでしょう。
その中で時々は不便さを愛する思考も必要なのではないかと、お昼に牛丼を食べながら思った次第です





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