寒さも和らいできてようやく春らしい天気が続いています。ウチのデンドロビウムの蕾も柔らかくなってきて、まもなく赤い花を咲かせてくれそうです
さて、今日のテーマは少し大きなお話。
皆さんは地球市民という言葉を耳にしたことがありますか?
この地球市民的な考え方というのは近年、多文化共生の観点からも、学校教育の現場でもよく語られる内容です
これは、国境や民族という枠組みを超えて、人類みな同じ地球に住む市民だという考え方です。
今日、世界中で多くの紛争が現在進行形で行われています。イラク情勢、中東の自爆テロ、スリランカにおけるシンハラ系住民とタミル系住民の衝突、タイ南部での武力衝突などきりがないくらいの悲しい戦争が繰り広げられています。その戦争は幼い命を奪い、多くの自然を破壊します。
なぜ、宗教や文化背景が違うのしても、同じ人間同士が憎しみ合って血を流さなくてはならないのでしょうか?
もし、人々が他文化を受容でき、異文化を認め合うことが出来たら、このような悲しい紛争はなくなるはずです。
(自分の育った文化にも誇りを持つことは大切です。大事なのはバランス感覚だと感じます)
例えば、ニュースを見ていましても、
「渋谷区住民と、新宿区住民が戦争。交戦が激しくなっています!」
などとは耳にしませんよね。大阪市と茨木市も死人が出るような戦いはしないですね。
上記の国際紛争と何が違うのでしょうか?
言葉が違うだけ?
皮膚の色?
それもそうでしょうが、私が思うにはその差は「枠組みの違い」のような気がします。
例に挙げた、渋谷区も新宿区も、大阪市も茨木市も日本国の一部です。世界中で行われている悲しい紛争も、同じ「地球」の仲間同士でけんかしていると考えれば情けなくならないでしょうか。
このように、私たちが国や国境で捉えている枠組みをひとつ大きくして地球規模で世界情勢を見ることができれば、日本地方に住む私たちにとって、つい先日のイタリアの大震災や、メキシコで多数の死者を出している新型インフルエンザや、イラク選挙中のテロなどは、遠い異世界の出来事などではなく、同じ地球上のご近所さんの話なのです。
皆さんの地区にお住いの仲のいいお友達が困っていたら、きっと皆さんは何か力になってあげられないか考え行動されるでしょう。
でも、経済的貧困に苦しむソマリアの人たちには無関心・・・
地球市民的な考え方で見れば、両者ともに同じことだと判断されるわけです。
この発想は、難しいことかもしれません。でも、これからの子どもたちが平和な世の中で生きていくためには必要な考え方だと私は感じます。
21世紀は多文化共生社会だと言われます。
しかし、地球市民的な考え方が定着しなければ、絵にかいた餅です。
我々ひとりひとりが地球市民としての自覚を持ち、同じ地球上で行われている環境問題や、紛争問題などに対して無関心でいるのではなく、興味を持っていくことが大切なような気がします。そして、そのことが結局のところ、平和につながっていくのだと思います
もし、お子さんとの会話の中で平和についてお話をする機会があれば、親の意見としてこのようなお話をしていただくのも家庭教育の価値として見出されるのではないかと私は思います

さて、今日のテーマは少し大きなお話。
皆さんは地球市民という言葉を耳にしたことがありますか?
この地球市民的な考え方というのは近年、多文化共生の観点からも、学校教育の現場でもよく語られる内容です

これは、国境や民族という枠組みを超えて、人類みな同じ地球に住む市民だという考え方です。
今日、世界中で多くの紛争が現在進行形で行われています。イラク情勢、中東の自爆テロ、スリランカにおけるシンハラ系住民とタミル系住民の衝突、タイ南部での武力衝突などきりがないくらいの悲しい戦争が繰り広げられています。その戦争は幼い命を奪い、多くの自然を破壊します。
なぜ、宗教や文化背景が違うのしても、同じ人間同士が憎しみ合って血を流さなくてはならないのでしょうか?
もし、人々が他文化を受容でき、異文化を認め合うことが出来たら、このような悲しい紛争はなくなるはずです。
(自分の育った文化にも誇りを持つことは大切です。大事なのはバランス感覚だと感じます)
例えば、ニュースを見ていましても、
「渋谷区住民と、新宿区住民が戦争。交戦が激しくなっています!」
などとは耳にしませんよね。大阪市と茨木市も死人が出るような戦いはしないですね。
上記の国際紛争と何が違うのでしょうか?
言葉が違うだけ?
皮膚の色?
それもそうでしょうが、私が思うにはその差は「枠組みの違い」のような気がします。
例に挙げた、渋谷区も新宿区も、大阪市も茨木市も日本国の一部です。世界中で行われている悲しい紛争も、同じ「地球」の仲間同士でけんかしていると考えれば情けなくならないでしょうか。
このように、私たちが国や国境で捉えている枠組みをひとつ大きくして地球規模で世界情勢を見ることができれば、日本地方に住む私たちにとって、つい先日のイタリアの大震災や、メキシコで多数の死者を出している新型インフルエンザや、イラク選挙中のテロなどは、遠い異世界の出来事などではなく、同じ地球上のご近所さんの話なのです。
皆さんの地区にお住いの仲のいいお友達が困っていたら、きっと皆さんは何か力になってあげられないか考え行動されるでしょう。
でも、経済的貧困に苦しむソマリアの人たちには無関心・・・
地球市民的な考え方で見れば、両者ともに同じことだと判断されるわけです。
この発想は、難しいことかもしれません。でも、これからの子どもたちが平和な世の中で生きていくためには必要な考え方だと私は感じます。
21世紀は多文化共生社会だと言われます。
しかし、地球市民的な考え方が定着しなければ、絵にかいた餅です。
我々ひとりひとりが地球市民としての自覚を持ち、同じ地球上で行われている環境問題や、紛争問題などに対して無関心でいるのではなく、興味を持っていくことが大切なような気がします。そして、そのことが結局のところ、平和につながっていくのだと思います

もし、お子さんとの会話の中で平和についてお話をする機会があれば、親の意見としてこのようなお話をしていただくのも家庭教育の価値として見出されるのではないかと私は思います
