家庭ノートチェックをしようと思い、赤ペンのフタを開けた瞬間、インクが飛び散って朝から大惨事の、ぶにんです


以前に衆義・家庭教育セクションの理事のお話をしました。(※過去記事1月21日参照)

今回も齢76の理事についての話をしてみたいと思います。

以前にも、書きましたが、理事と私とは生きてきた時代が違います。ものすごいジェネレーションギャップがあります。マリアナ海溝の深さとまでは行かないにしても、ちょっとした古井戸の深さくらいは差があります



そんな理事に人生について尋ねたことがあります。

宗教的なこととかではなく、単なる興味本位です。
76年も生きてこられていればそろそろ「死に際」のことを考えざるを得ないのではと思い、失礼ながら直球勝負で聞いたことがあります。


「生きていく中でいろいろな経験をされてこられた理事ですが、結局のところ何が大切でしたか?」


ほんと直球勝負です。「若気のいたりストレート」とでも言いましょうか。
理事は若干苦笑いされながら言いました。


「人とのつながり。これに尽きる。会社を4つ立ち上げていろいろな人を見てきたし、育ててきた。中には悪意のある人もいた。それらすべてを含めた人とのかかわりが大切。どのように関わってきたかではなくて、どれだけ関わってきたかということが重要だ」



ホホゥ。これまた深いですなぁ・・・



そんな理事が常々、口にする言葉があります。



それが 「一期幾会


一期一会の出会いも大切だけれども、できることならば、一度会った人とはいつまでも繋がっていたい、お互いが望めば気楽に何度も会えるようにしたいという思いがあるようです。

人生の意義はパンだけにあらず。やはり人として生きていく以上、人とのつながりが大切だということでしょう。
私のような若造は時にパンに走る時もありますが、ある程度の人生経験を積まれればそのようなところに達観されるのだなぁと感じました。


私たち家庭教育カウンセラーの仕事はまさに一期一会の世界です。お子さんに問題がなくなり、家庭のシステムが自律的に動くようになれば離れていかなくてはなりません。

昔に支援したあの子はもう大学生くらいかなぁ、達者に暮らしてるかなぁ、と春になればいろいろなことを考えます。
家庭教育支援の仕事だけを考えれば一期幾会の関係が保てることが必ずしも良いことばかりではないとは感じますが、仕事以外の人間関係では大切なことではないかとも感じます。

家庭教育支援の問題に取り組み、不登校なりの問題を解決したときに私がよく感じていた気持ちがあります。それは・・・

「もういいだろう。充分がんばっただろう」と言うことです。

それほどまでに1件1件の問題に取り組む時には入魂して精神を研ぎ澄ませているのです。解決するたびに上記のようなことを思います。

しかし76才でバリバリ現役でビジネスの仕事も教育のこともしている理事の姿を見たり、言葉を聞いてると

「いやいや、まだまだこれからだ。自分はまだ磨けば伸びるし、支援を望んでいる人たちもまだいるはずだ」

と感じるのです。



いつか私たちは年をとり、死に近づいていきます。

その時にどれだけ人との係わりが持てるのか。そのようなことを感じさせる言葉でした